最近いたるところで監視カメラ、防犯カメラを見掛けるようになった。駅の改札やホーム、地下通路等をはじめとして、商店街のアーケードやコンビニ、最近ではマクドナルドや吉野家のような店でもいくつものカメラが設置されている。

何か事件や事故が起こった場合に調査する、または証拠とするという意味合いも勿論あるが、犯罪の抑止効果を期待している面も大きいだろう。「防犯カメラ作動中」などとでかでかと貼ってあるポスターもそうだ。

昔は、こういった役割はもっと超常的なものが担っていた。人の目が無くても「神様は見てるんだよ」というのがそうだ。神様が時には閻魔様であったり、「罰が当たるぞ」という表現になったり。子供に対して「そんなことするとお化けが出るぞ」などと恐がらせるのも悪事を抑止するためだ。

元々「神の如く偏在する」ことを意味する”ユビキタス”という言葉が、今はネットワークやコンピュータの世界で使われているが、最近のどこにでもある監視カメラこそがまさに”ユビキタス”なのではないかと思えてくる。

問題になるのはやはりプライバシーだ。カメラが捕らえた画像を見るのは神様でも閻魔様でもなく、人間だ。無機質なレンズの向こう側には自分となんら変わりの無い人間の目があるのである。

自分が不安を感じる所に設置されている分には安心感が先に立つが、ひとたび自分が監視されていると考えだすと気味が悪い。「何かやったらすぐにわかるんだぞ」と言わんばかりにカメラににらまれているのはなんとも窮屈なものだ。下手な動きもできやしない。

物騒な事件が相次いでおり、いくつかの事件では少なからずカメラが犯人逮捕に役立っている現状からするに、今後もカメラが増加する傾向にあることは間違いないだろう。この、カメラだらけの街を「神が見守ってくれている」と捉えるか、「閻魔様に見張られている」と捉えるかで、その街の風景は全然違ったものになるだろう。