”AQUOSケータイ”のCMがバンバン流れている。画面の美しさと独特の動きで興味をひかれる。そしてまた最近auから”ウォークマン携帯”も発売された。数ヶ月先にはソフトバンクモバイルから”iPod携帯”の発売も予定されている。WILLCOMのW-ZERO3などはPDAというか、もろPCのようなものだし、高音質な衛星デジタル放送”モバHO!”を受信できる携帯MUSIC PORTERというものもある。他にも、おさいふケータイ、モバイルSuica機能、DCMXのようなクレジット機能などなど、個性的なもの、高機能なものが続々と発売されている。

カラー液晶、着メロ、i-mode、カメラ付き、など発展してきた携帯電話だが、これまでの「とりあえずくっつけられる機能をつけてみました」というところから一歩抜け出て、新たなステップを踏み出しているような気がする。もはや元々の音声通話は”ケータイ”端末で実現できるうちのほんの一機能に過ぎなくなってしまった。

ずいぶん前にも一度ブログで書いたが、”ケータイ”という言葉で広まっていったところがまた絶妙だ。”電話”ではなく”ケータイ”だ。もって歩くものだったらそれでいいのだ。”デンワ”という言葉にこだわっていたら今のケータイ市場の発展は無かったかもしれない。というのは言いすぎかもしれないが、言葉にはそれなりの影響力があると思うのだ。

昔はもって歩いたものがどんどん”ケータイ”に取り込まれていく。ケータイを持っているから腕時計をしなくなった人も結構いる。他にも財布、定期、ライト、カメラ、メモ帳、ペン、地図、、、などは持たなくても済むようになった。家の鍵なんかも携帯でできるようになってきている。携帯で代わりにならないのはハンカチとティッシュくらいのものか。

たまたま電話から発展していったわけだが、他のものから発展していった可能性だってあったのでは。(いろいろ法的な問題はあるかもしれないが)カメラやウォークマンが多機能になり、通信機能も持っていくとか。そこへいくとPDAは惜しかったのかもしれない。考えてみれば、家の外に出たのは電話が一番後からだったのではないか。その電話が今までの携帯するものをすべて駆逐し、また電話会社がそのインフラ、主導権を握ったというのは非常に大きな意味のあることかもしれない。

今後”ケータイ”はいかなる発展をとげていくのか、まだまだ目が離せない。